2018年 11月 13日
年を重ねた会が終息するのはさみしいですね |
20年前我々が所属する(した)学会の理事長を務めた先生が退職。それを機に彼が理事長時代の執行部の面々5人と事務を担当してくれた人物とで毎年同窓会をしよう、理事長が死んだら閉幕、ということで衆議一決。5人が回り持ちで一泊のお世話をする。家族同伴でも可、ということに。何せ、グルメでセレブが含まれている。小生が最初に幹事を担当したときは、たしか山中温泉。前もって視察に行き、普段ならもっと安宿に泊まるのだが、こうろぎ桜に。翌日の観光ルートもねじり鉢巻きで。このような会が20年。普段なら行けないようなところまで連れて行ってもらった。当然、嫁はんは大満足。宴会では日本酒、ワインのボトルが転がり、二次会が終わると2時過ぎはざら。翌日の朝飯にも、昼飯にもビール、酒を頼み、奥さん方からは白い眼。それが、年を追うに従い酒量は激減、二次会の代わりに喫茶に。そして数年前、メンバーの一人が運動障害に。それを機に旅行は取りやめ、東京のホテルで食事会のみに。それも大変だろうと、彼の住まいの近くの横浜でやることに。小生の家内が場所、レストランなどを捜している最中に一人がなくなる。その上神奈川の住人も出席不可能と。そのようななか、先週、理事長と残党たちが集まる。難聴グループも聞こえ耳を見なさんの方に向けて座る(小生もその一人)。飲んだアルコールはビール3本、日本酒4合。ただ嫁はんたちは健啖。小生が食べきれぬ料理をペロッと。これは女が長生きするのは当然と思い知らされる。理事長よりいったん解散しましょうとのご託宣があり、皆さん了承。年のうつろいは誰にも止められないとはいえ、20年続いた会が終わるのは寂しいものである。自分の老い先の短さを身に染みて知らされるような気もして。写真は横浜のホテルからの街路樹の黄葉。
by amitohyama
| 2018-11-13 09:52
|
Comments(0)