2018年 10月 01日
テレビからの妄想 |
先週はニュース満載。沖縄知事選、貴乃花、台風、樋田容疑者逮捕。芸能関係では樹木希林の葬儀一色。確かに印象に残る俳優。ただ個人的には加藤剛の方が印象に残る。NHKがテレビ放送を開始したのが昭和28年ぐらい。同じ年に民間も。白黒のブラウン管テレビである。新しい物好きの父は、早速購入。確かジェスチャー、私の秘密が人気番組。ところが、このテレビ、ちょうどええとこでプチットきれる。テレビの頭をバンと叩くと復旧することがしばしば。関西では花登筐が主催し松竹が支援した笑いの王国制作のやりくりアパート(これによりダイハツミゼットが爆発的に売れる)、番頭はんと丁稚どん、びっくり捕り物帖がスタート。子供たちの中ではこれを見そこなうと話の輪に入れないほどの大ヒット。昭和35年カラーテレビに。大阪の喜劇は一層加速しそのスチャラカ社員、そしててなもんや三度笠と続く。当分は白黒とカラーの混合である。混合といえば、当時の。エロ映画館。ほとんどが白黒であるが肝心なとこになるとカラーに。それまでスポーツ紙の競馬予想を見てたおっさんや寝ていたはずのおっさんが急に姿勢を正し、真剣な面持ちで、唾を飲み込む。小生からは縁遠い話であるが、そんな時代があったと友達が。昭和38年3匹の侍が白黒でスタート。そのリアル感と加藤剛のかっこよさにテレビにかじりついた思い出が残る。加藤剛といえばその後の大岡越前、剣客商売であるが、小生には3匹の侍でのかっこよさがより印象的。そして若者のなにをくすぐったのが当時の映画やテレビドラマ。今と異なり乳首OK。そして11PMの大人の色気。規制の強い今からは考えもつかない。CSで時折この時代の者が流れるが、なかなか、である。白黒、団塊の世代には何やら怪しげな響きがある。そうストリップ劇場の白黒ショウ。私はストリップ劇場など覗いたことすらないが、看板や宣伝に青春の妄想をかきたてられた。因みに男女の何を16ミリで撮影した白黒映画はなぜかブルーフィルムと呼ばれた。今や死語である。私の後輩などは阪急東通りで、「兄ちゃん、裸のくんずほぐれつの写真、あるで。安うしとくわ」その甘言にのって購入、路地の片隅でドキドキして袋を開けると、相撲の写真。慌てて本通りに戻るも、売り子は影も形もない。因みにこの人物、今では名士である。
by amitohyama
| 2018-10-01 15:44
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