2018年 05月 17日
トップの責任の取り方. |
国のトップが官僚にすべてを押し付けて責任は知らぬ顔。官僚組織のトップの大臣も責任は官僚にと、辞職の気配も見せない。それを見習ったのかアメフト日大の監督。責任を選手に押し付ける厚顔。指示があろうがなかろうが〈たぶんあったろうが)、すべて結果責任。しかも、学生集団のトップ。自分の地位を利用して学生に責任を押し付けるとは、なさけいない。これら一連の責任の所在の判断は、到底会社や普通の組織では考えられぬこと。トップの責任の取り方を考えさせられる。友人が某大学の学部長になって1か月も経たない時に勃発したのが「捏造事件」。前任者より引き継ぎすら受けていなかった彼は「下手したら、辞職もんやで。まあええか」と腹をくくる。前任者にいきさつを問い合わせても逃げの一手(そうでしょうな、隠蔽したのやから)。当事者の同門会からはえらい圧力。それを振り切って決めた処分も同門会の圧力を受けた大学執行部の弱腰で骨抜きに。それでもようやく収拾したかとほっとしたとたんにO157事件。アホな教授が「学生に緊張感を持たすため」とかで毒性のある菌を使用。学生がO157に感染。環境も整えずに、毒性のある菌を使用することを周知せずに実習を行った教授サイドの責任である。もし学生が亡くなったり、後遺症が残ることがあったら(腎臓などは長期観察が必要)、辞職やなと腹をくくる。「なんも変えられんと1年もたたずして辞職か。学生の命の問題やしゃあない。幸い命も取り留め(父親が医師で、症状からすぐに救急に運び込んだゆえに)、辞職は免れたそうな。トップに求められるのは地位への執着でなく、責任を負う覚悟である。よく、「任務を果たすことが責任を取ることである。」と称し地位に留まる例が多い。特に最近の政治では。しかし、本人が辞めれば、代わりの人材はすぐに見つかるし、たまった膿を思い切って出せるものである。(写真はトップの責任の取り方を熟考するアミチャン)(ちなみに新潮だったか、麻生副総理を阿呆副総理と揶揄していたが、ネーミングから言えば小生の方がタッチの差で早い!5月9日である。それ故、その日のタイトルはパクリではない)
by amitohyama
| 2018-05-17 10:40
|
Comments(0)