2018年 01月 09日
年始に驚いたこと2件;星野監督逝去、阪大の入試ミス |
1月4日、阪神の星野元監督が逝去。すい臓がん。小生と同じ年である。阪神ファンにとってみれば星野はまさに中興の祖である。1985年吉田監督による1939年以来のリーグ優勝、そして初の日本一。それから始まった暗黒時代。天国から地獄へ、という吉田氏の著書のタイトルのごとく、阪神ファンとしては苦難の日々。自殺者や暴動が起きなかったのが不思議なぐらい。1999年にフロントはようやく重い腰を上げ、それまでの通例であった生え抜き監督をやめ、野村に白羽。これも、もう一つ。成績ももう一つなのに、スイートルーム暮らしなど派手なことが、ファンの琴線に触れる。2002年、野村の後任として星野が登場。選手の入れ替え、金本、片岡の招へいなどを断行。練習もチンタラから青息吐息に。2003年見事18年ぶりのリーグ優勝。まさに阪神中興の祖である。しかしこの年で退団。ライバル巨人監督に色気か?、と世間の噂になったこともあった。星野といえば喧嘩投法、熱血漢などと闘志あふれることで知られる。大毎、阪急、近鉄と3球団をリーグ優勝に導いた西本監督と相通ずるところを感じる。まさに、我々世代の生き方の手本である。 もう一つ。 阪大の入試で出題された物理の問題が不適当と、1月になり阪大当局が謝罪。この問題を採点から省くと30人が各学部に合格とか。と言うことは本来ならば、合格した30人が不合格、ということになる。6月に外部から指摘、8,12月にも同様な指摘が別口からあったという。入試は大学の最も大事なイベントと位置付けられ、ミスがあってははならないとされている。それ故、出題にあっては何回もグループでチェックを重ねる。それがなぜ、と思うが、この事件で問題にしたいのは、なぜ1年近くたっての公表か、という点である。6月に指摘が理学部?にあった際に、理学部から本部への報告があったのか。どのような対応を本部がしたのか、ということである。本来ならば、理学部事務を介して本部入試課に「かくかくしかじかの指摘があったのでこのような対応をしましたた」との報告が上がるべきである。百歩譲って、理学部あてではなく、個人に指摘があり、個人が返答したとして組織の責任は回避できるとしても(なぜ出題者が特定できたのか、なぜ出題者は理学部長に連絡しなかったのか、まか不思議であるが)8月の時はどうなのか。新聞によると再び外部より「理学部」に指摘があり、大学(本部なのか理学部なのか、担当教教官なのか不明)はそれに反論。指摘者は再度これに反論。しかし、大学からはなしのつぶて。今度は、理学部が誤りを指摘するメールを受け取っている。当然、本部に連絡がいったであろう。本部はこの時点で2度目の指摘を受けているのだから、入試担当理事を中心として調査委員会を置くべきである。そうであれば、受験生に明和うをかける度合いが減少したかもしれない。さらに、理学部よりこの件が入試担当理事に上がってないとしたら、これは大問題。「あれだけ検討したのだから間違っているはずはない!、との出題者の過信と危機管理能力の欠如がこの事態を招いたといえる。ちなみに、小生の耳には9月の時点で、入試でエライ間違いがあった、との噂が。何事も起こらず、根も葉もない噂か、と思いはじめていたのだが。このことで改めて入学する子が、「お前、最下位の合格やん」と差別を受けないことを祈るのみである。卒業してからが勝負やから。
by amitohyama
| 2018-01-09 13:21
|
Comments(0)