例年よりも遅い桜の満開。まるで半世紀前の気候です。父の命日が昭和47年4月11日。当時国家試験も終わり、クラブの春合宿に参加。島の満開の桜がまだ目に焼き付いています。先輩風をふかし、麻雀で稼ぎ、新しい人生への希望に溢れ、一番晴れやかな時でした。帰阪後、喘息で自宅療養中の父が急死。母が買い物に行っている間でした。母の声で二階から降りてきて茫然の自分、医師の卵でありながら無為無策のママ、父を永遠に見送る自分のなさけなさ。今でも心残りです。享年59歳。現職での死去でした。千里はまさに桜吹雪。お通夜が始まるときには、春の嵐。雨風の激しさが記憶に残ります。丁度今年と同じような気候でした。満開の桜に、一昨日のような春の嵐。これが重なると古い記憶がよみがえります。その年以降の盆暮れ、父の死を母は実感したと思います。それまで100以上の届け物が一気に減少したからです。また死後2年目になると訪れる人も古いお弟子さん,それも年と共に途絶えます。まさに人情紙風船でした。私はこの経験から親しい人がなくなると、毎年命日に花を贈るようにしています。遺族にとっては故人が忘れられることが最も寂しいのですから。この体験が私を強くしたのかもしれません。大事な決断のときには、父ならどのような判断を下すのか、心に常に問ってきました。いつまでたっても越えられないのが父なのでしょうか。 昨年、一昨年と母の猫の額のような花壇は荒れ放題でした。今年は手を入れ、今はチューリップ(画像の調子が今一つ。うまくコントロールできず、1枚のみ。アミー・ジョリーのはまた今度です)、菜の花、ムスカリなどなどが満開。裏庭には母の好きな真っ赤なボタン、ピンクのカスミの入った白模様の花のボタンも大輪で満開です。かくいう私も今年は古希。いつまできれいな庭にできるでしょうか、それを考えるとね。