2017年 04月 07日
大人たちへの再教育の必要性 |
教育勅語という言葉をよく聞くようになった。森友学園で園児に朗読させていたことが明るみに出て以来である。総理夫人やこんにゃく議員はじめ右翼思想の議員がこれに感激していたことも明らかになった。文科省は「教育勅語を朗読させるかどうかは都道府県が判断すること」と逃げた。20年前には文部大臣が「教育勅語を朗読させないよう指導してきた」、その事と大きく異なる。「教育勅語」にはいいことも書いてあるので一概に否定できない、との声も自民党から大きくなっている。教育勅語は天皇主権主義で書かれている。それ故天皇の為に国民は命さえ投げ出さねばならないと戦前は説かれ、多くの若者が死に、自由が剥奪された。日本の今は議会制民主主義で主権は国民にある。それ故戦後国会で教育勅語は否定されたのである。戦前の悲劇を繰り返してはならないし、また、このような天皇の利用は天皇自身も望むまい。天皇ご夫妻は、多くの兵士が無駄死にをした東南アジア諸国へ鎮魂の旅を続けておられることからも、その意図を推察できる。親に孝行をせよなどは何も教育勅語に頼る必要はない。新しい「こどものありかた」をいまの言葉で書き綴ればよいだけである。戦前の古びた思想を持ち出して、「愛国」のもとに正当化しようとするのはまさに知恵のない右翼にしか見えない。今回の文科省の「ええ加減な見解」、森友における財務省役人の安倍夫人に対する忖度、彼女の公私混同を誰も身内から指摘できない政府、長いものにはまかれろということか。日本人に一番大事な「正義感、正直」を養う教育が、とりわけ大人たちへの教育が必要ですね。またパンツ大臣の後任の復興大臣、なんでこんなに感性のない奴が復興大臣。原発事故は東電への監督管理ができていなかった、電力会社任せの(東北電力の女川原発は保守がしっかりしていたので被害が少なかったという〉、国の監督責任である。それを知らんふり(自覚していないのでしょう)、で故郷を捨てたものが悪いとは。開いた口がふさがりません。記憶障害の防衛大臣、法律知らずの法務大臣、嫁はんも管理できない首相、国をうごかす人たちに古来の日本の武士道、「良心と責任」、についての教育も不可欠ですな。
by amitohyama
| 2017-04-07 16:05
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