2017年 02月 06日
軍事研究の是非 |
防衛省が科学研究費の公募を昨年から開始し、今年は100億を超える規模とか。これを機会に軍事研究への科学者の参加が論議を呼んでいる。まず誰もが納得することは、医学生物学は命を守る学問でなければならない、ということである。従って、戦前の感染症の軍事転用の事実とそれに研究者が協力した歴史を忘れてはならない。一般的に科学者は自分の興味のあることしか視野に入らない。とはいえ、科学者は極めて研究費の誘惑に弱い生物である。「この研究費で先生のやりたいことを少しはやってもかまいませんよ」、という悪魔の誘いに乗る研究者は居ないと、誰が断言できよう。ましてや、研究費の極端な偏在が露骨な今、そして2,30万の研究費で四苦八苦する多くの研究者の怨嗟が渦巻く中、札束で頬を叩かれればやむをえないと、従う研究者は後をたたないであろう。苦労して自分のやりたいことに埋没するより研究費が使える研究の中に喜びを見出そうとする研究者もあとは立つまい。中国、北朝鮮の軍事独裁主義、アメリカの極端な自国愛主義などの情勢では自国を守るという軍事面の強化に最先端の科学技術を利用したいという政府の意図もわからないではない。しかし、防衛省が公募する研究には少なくとも公募項目のゴール、この研究はどのような軍事利用に使われるかなどの具体的なことを記載すべきであろう。そうすれば科学者の良心の秤となりうるのではないだろうか。研究費の偏在とそれに巣食う「えせ科学者達」は排除し、公平な研究費の配分を行うことが科学者の良心を守る最短の道であることを,科学研究費の配分に携わる関係者は肝に銘じてほしい。(もめる世の中はペットが一番迷惑、とアミー)
by amitohyama
| 2017-02-06 12:18
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