2016年 10月 06日
日本の医学生物学の先進性はあと10年の命? |
オートファジーの機序を解明した大隅氏がノーベル賞に。2000年代後半、ネクローシスからアポトーシスへと細胞死の研究中心が移行。さらにミトコンドリア中心の細胞死が小胞体ストレスによる細胞死へと。これには京大森氏らの功績が大きく、また広島大学の今泉氏ら(当時阪大、奈良先端)によりアルツハイマー病における神経細胞死が小胞体の機能異常を起源とすることを示して以来神経難病と小胞体の機能異常の研究が花形となった。1960年頃よりオートファゴゾームとして細胞質の不要産物を喰する小胞の存在は電子顕微鏡の開発以来よく知られるところであったがそれほどの興味は引いていなかった。大隅氏は酵母の成果を哺乳類お細胞に応用し、細胞を守る不変の機序として彼の門下生と共に確立した。このことがオートファジーを細胞死の分野でのスターに押し上げた。そして現在神経細胞では第四の細胞死とその機序が注目を浴びている。マスコミは彼の成果ががんやアルツハイマーなどの治療に結び付くと持ち上げているが、細胞が死ぬというイベントに何種類もの細胞死の機序が絡んでいるのである、まだまだ先の子とt断言しても過言ではない。
日本人のノーベル賞受賞が今後も続くかといえば、残念ながら、「No」と言わざるを得ない。今の成果は戦後文部省は広くいろいろな分野に、とりわけ基礎的な分野にも、研究費を捲いたことが効いている。それが実を結んできたのである。それが今はどうであろう。刈り取った実の活用の分野、出口研究にばかり大金が、しかも限られたグループに集中する傾向が強く、その傾向は増々加速化している。厚労は病気、経産は企業化、文科は基礎研究にと、すみ分けて、将来を視野に研究費を配分すべきであろう。多くの研究者の年間研究費が30から数百万、一握りのグループの研究費が各グループ数億では、日本の科学の将来は暗い。役に立ちそうにない基礎研究にもっと投資すべき。本来研究の原点は好奇心であり、夢からスタートするのだから、社会への還元ばかり金科玉条にするもどうかと思う。「アルツハイマーの治療に直結する研究です」「視力の直接回復が見込まれます」など三百代言を並べ立て、研究費をゲットしようとする研究者にも大きな責任があることは言うまでもない(自らの自責の念を込めて)。
大隅氏の若手へのコメントは基礎研究者に共有できるものであった。「あまり見向きのない分野を」、流行を追うなと言うことである。私も同感である。その人が年を経た時には流行は終わっているのが常である。また若い人には大隅氏が酵母の研究から普遍性を引き出したこと,を肝に銘じてほしい。研究は単純化して、普遍性を求めることが大事である。脳の研究では高等動物の複雑な脳機能の研究も大事であるが、実験系を単純化して、そこで解明した機序が動物間で普遍性があるか、という方向も重要な研究軸である。私にもこの視点から45年前にスタートし、諸事情で断念した取り組みがある。その取り組みを長年務めた大学を退職し、小さいながらもコンパクトなラボを開く際に、ラボの責任者、M教授、に託し、すでに4年の歳月。阪神の優勝と同じ、私が死ぬまでに成果がでるのやろかと、疑心暗鬼の日々である。私が学生時代、恩師に言われた言葉がある。「論文ばかり読みすぎると、何もできなくなる。思い立ったら、まず体を動かしなさい。自分のデータが出てから考えればよい」と。ただ私が託した研究は関連する論文が極めて少ないはずなのだが。
(ジョリー、歯磨きをさせないものだから、歯垢が歯を被う事態。ところが歯自体は頑強で、抜かずにすみました。アミーが11本抜いたのに比べると麻酔だけのはず。ところが帰宅した日に嘔吐。食も進みません。神経性胃炎でしょう。恨めしそうに白目でこちらに視線。今は心身とも回復。ジョリーの方がアミーより神経質なのがわかりました。)
by amitohyama
| 2016-10-06 12:29
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