2016年 08月 15日
罰当たりの私 |
8月にはいってすぐにツクツクボーシの声を聞く。昔は7月に入るとアブラゼミ、そしてミンミンゼミ、最後に秋風を感じたころにツクツクボーシの声を聞いたものだが、今年は随分と早い。近年クマゼミの声がけたたましい。7月真っ先に声を聞くのがクマゼミである。ジャージャー、嫁はんよりもうるさい。m昔はクマゼミは九州・沖縄に生息してしたので大阪では珍しく、クマゼミを捕獲した子供は夏の人気者であった。それが、どうだ、今や、クマゼミワールドである。暑い夏、温暖化が間違いなく生態系を蝕んでいる。日本人の豊かな感性は四季の色とりどりの変化により、知らず知らずのうちに育てられてきた。そう遠くない将来、日本人の感性まで蝕まれるんだろうか。
遺品整理もままならぬのに間もなく母の逝去から1年となる。父が亡くなり、私が結婚し、自宅を2世帯住宅に改造。その折に母の専用の花壇を用意した。母が老いるにつれ、その花壇の手入れを私が。春はパンジー、ビオラ、夏はサルビア、ベゴニア、秋にはコスモス、そして水仙などなど、母が喜ぶ顔を見たくて手入れをしてきた(小遣いも目当てでないと言えばうそになるか)も。それが今年は土のまま。来年は昔を思い出して、である。逝去して1年。仏教では一周忌、キリスト教では1年の記念式である。父方も母方の祖父母は熱心なキリスト教の信者であったようである。母は祖父が仙台に赴任中に生まれ、幼児洗礼を受けたようであるが、死後いくら手を尽くしても洗礼名が分からない。軍国主義たけなわの当時、キリスト教に対する偏見・迫害も強く、横文字は避けたようである。祖父は東大退官後、立教大学に医学部を作るミッションで立教大学に総長として赴任。聖路加病院を附属病院とするtころまで話は進んだようであるが、キリスト教系の大学ということで相当な圧力を受け、結局断念、失意の元で逓信病院長として、総長の職を去る。やがて父方の祖母、母方の祖父がなくなり、我が家では母方の祖母が同居。祖母、母、そして兄は熱心な信者で毎週のように教会に通う。父親は日曜には研究室には行くのに、教会へは体が弱いことを口実に殆どいかない。そのDNAを私が受け継ぐ。私、日本人の典型。日頃は不信心なのに困ったことがあると神頼み。それも節操がない。幸運を神社で祈り、無病息災仕事運を仏閣で祈る。父が59歳という若さで憤死した時、子供が死産だった時、神を恨みながら、「天国では安らかに、幸せに」と神に祈る。私はキリスト教の信者としては落第であるが、もっとひどい奴もいる。夜な夜な遊びふけって、「おま、キリスト教と違うんか」と問い詰めると、「懺悔したら、神さんはなんでも許してくれる。心が広いんやから。そうでなかったら神さんちゃうもんな」とうそぶきへそから下で十字をきる。劣等比較ではあるが、私なんぞ彼に比べると数段ましである。
さて、歴史は変われども、宗教とは弱者のためにあり、マイノリティのためにある、その側面が強いと私は思う。すざまじい勢いの新興宗教がやがて組織化され、その組織の維持のため権力と結びつく。するとあるべき姿を失い、失速してゆく。これは歴史が示している。日本の現状にも通じるものがある。企業も宗教も、アカデミアも初心忘るるべからずである。その意味でも終焉記念日での天皇のお言葉、「ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後戦争の惨禍が再び繰り返さないことを切に願い・・・」、は日本の政治家の言葉とはくらべもののないほど、重いお言葉である。戦前の日本を彷彿とさせる軍拡中国にも十二分に味わってもらいたい。政権維持のための反日カードの繰り返し(当時の日本では鬼畜米英)、言論封殺は日本の軍部の常とう手段でもあったのです。(写真はさぎ草、しらさぎが羽を広げたような花なのでその名が。よく、たくさん咲いてくれました)
追伸:尼信の阪神貯金、解約しました。生きているうちの日本一〈1985年〉、セリーグ制覇の可能性がないようなので。今週、アミーチャン、大ごとがあります。うまくゆくといいのですが。
遺品整理もままならぬのに間もなく母の逝去から1年となる。父が亡くなり、私が結婚し、自宅を2世帯住宅に改造。その折に母の専用の花壇を用意した。母が老いるにつれ、その花壇の手入れを私が。春はパンジー、ビオラ、夏はサルビア、ベゴニア、秋にはコスモス、そして水仙などなど、母が喜ぶ顔を見たくて手入れをしてきた(小遣いも目当てでないと言えばうそになるか)も。それが今年は土のまま。来年は昔を思い出して、である。逝去して1年。仏教では一周忌、キリスト教では1年の記念式である。父方も母方の祖父母は熱心なキリスト教の信者であったようである。母は祖父が仙台に赴任中に生まれ、幼児洗礼を受けたようであるが、死後いくら手を尽くしても洗礼名が分からない。軍国主義たけなわの当時、キリスト教に対する偏見・迫害も強く、横文字は避けたようである。祖父は東大退官後、立教大学に医学部を作るミッションで立教大学に総長として赴任。聖路加病院を附属病院とするtころまで話は進んだようであるが、キリスト教系の大学ということで相当な圧力を受け、結局断念、失意の元で逓信病院長として、総長の職を去る。やがて父方の祖母、母方の祖父がなくなり、我が家では母方の祖母が同居。祖母、母、そして兄は熱心な信者で毎週のように教会に通う。父親は日曜には研究室には行くのに、教会へは体が弱いことを口実に殆どいかない。そのDNAを私が受け継ぐ。私、日本人の典型。日頃は不信心なのに困ったことがあると神頼み。それも節操がない。幸運を神社で祈り、無病息災仕事運を仏閣で祈る。父が59歳という若さで憤死した時、子供が死産だった時、神を恨みながら、「天国では安らかに、幸せに」と神に祈る。私はキリスト教の信者としては落第であるが、もっとひどい奴もいる。夜な夜な遊びふけって、「おま、キリスト教と違うんか」と問い詰めると、「懺悔したら、神さんはなんでも許してくれる。心が広いんやから。そうでなかったら神さんちゃうもんな」とうそぶきへそから下で十字をきる。劣等比較ではあるが、私なんぞ彼に比べると数段ましである。
さて、歴史は変われども、宗教とは弱者のためにあり、マイノリティのためにある、その側面が強いと私は思う。すざまじい勢いの新興宗教がやがて組織化され、その組織の維持のため権力と結びつく。するとあるべき姿を失い、失速してゆく。これは歴史が示している。日本の現状にも通じるものがある。企業も宗教も、アカデミアも初心忘るるべからずである。その意味でも終焉記念日での天皇のお言葉、「ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後戦争の惨禍が再び繰り返さないことを切に願い・・・」、は日本の政治家の言葉とはくらべもののないほど、重いお言葉である。戦前の日本を彷彿とさせる軍拡中国にも十二分に味わってもらいたい。政権維持のための反日カードの繰り返し(当時の日本では鬼畜米英)、言論封殺は日本の軍部の常とう手段でもあったのです。(写真はさぎ草、しらさぎが羽を広げたような花なのでその名が。よく、たくさん咲いてくれました)
追伸:尼信の阪神貯金、解約しました。生きているうちの日本一〈1985年〉、セリーグ制覇の可能性がないようなので。今週、アミーチャン、大ごとがあります。うまくゆくといいのですが。
by amitohyama
| 2016-08-15 12:59
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