2016年 07月 04日
モロヘイヤ殺人未遂事件の真相 |
「モロヘイヤ殺人未遂事件」、我が家の出来事と信じてやまないヒトがおられるようであるが、断じて、我が家での事件ではない。その証を少し上げてみたい。まずは草取りである。愛犬がいるので除草剤は撒けない。最近はシルバーさんに頼む時が増えたが、私がその任を担ってきた。庭に草が生えてこようが、家内は無関心である。夏の暑い盛りには難行である。次のポイントは花である。季節が訪れ、きれいな花を咲かせたとしてもなかなか気付かない。たまに、庭に咲いた花を切り、花瓶にさして愛でたとしても、花瓶に水を追加するのは私である。家内は何を血迷ったか、家の中を明るくするためと称して、小さな植木鉢の花を部屋に飾るときがある。ほったらかしで、枯れそうになるので我慢しきれず水をやるのも私である。このように花や庭木に無関心な家内が毒を持つ草木を知るわけもない。以上の客観的エビデンスは「モロヘイヤ事件」での家内の無罪を示すものである。
母親は庭の手入れをよくしていた。年を取って手入れに根気を失うと、母親の玄関前には、春の初めにはチューリップ、中頃には三色すみれとビオラ、夏になるとインパチェスやベゴニア、秋はコスモスと、そろえると「きれいだね、ありがとう」と。ついでに小遣いも頂いた。階段を上らねばならない、ベランダにも花を見るために、「あがる!」と言って晩年は困らせたものである。夏が過ぎ、9月になると1周年(キリスト教では神に召されることは忌むべきことではないので一周忌てゃ言わない)。母を偲んでインパチェスをそろえてみました。渇水に弱いので水やりが大変ですが。
母親は庭の手入れをよくしていた。年を取って手入れに根気を失うと、母親の玄関前には、春の初めにはチューリップ、中頃には三色すみれとビオラ、夏になるとインパチェスやベゴニア、秋はコスモスと、そろえると「きれいだね、ありがとう」と。ついでに小遣いも頂いた。階段を上らねばならない、ベランダにも花を見るために、「あがる!」と言って晩年は困らせたものである。夏が過ぎ、9月になると1周年(キリスト教では神に召されることは忌むべきことではないので一周忌てゃ言わない)。母を偲んでインパチェスをそろえてみました。渇水に弱いので水やりが大変ですが。
by amitohyama
| 2016-07-04 16:34
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