2016年 05月 09日
DNAは争えません |
6日父親の後任教授夫妻の卒寿と米寿のお祝いが。この夫妻は父親が慶応から初代教授として大阪市大に赴任した折の最初のお弟子さんである。奥さまには幼児のころからの小生を知る数少ない一人である。父親時代のお弟子さんもお一人おられて、懐かしいかいとなった。「研究はしてなくても研究室には夜遅くまでおれ!」「酒を飲んで翌日遅れるなら、研究室に泊まれ!」など小生と同じようなことを言っていたようである。父親が早退すると潮の引くように研究室は人がいなくなる。ある時忘れ物をしたふりをして戻ると正に帰宅寸前の教室員と鉢合わせ。「今後もこのようなことがると思うべし!」と。よく似た行動を小生も。帰宅時名札の下に、「東京」と。翌日は普通通り出勤。予想通り9時を過ぎても研究室は閑古鳥。そのうち、廊下で「おっさん、東京と違うんか。どないなっとんねん」の声が。教授質のドアを開け、「午後からや!」と一喝。「そんなん、ずるいわ」などと言いたげに、仕事に。また当時は小生が4時ごろ研究室を見回り、当日の研究の進捗状況をチェックする行動をとると、夜は会食があり、「おっさん」は夕方には退出する、という統計学的データがでまわり始めた。そこで、小生は夕刻の見回り後、教授室に引き籠り、この伝説の打破を試みる。時刻は6時過ぎ。いつまでも出かけない小生にしびれを切らした数名が列をなして、姿勢を低く保ち、抜き足、差し足、で教授室の前を隠密裏に通過しようとする。間の抜けたことに、その動態が教授室のすりガラスにばっちりと、映っているのである。まさにバカ丸出しである。やおら教授室の扉をがらっとあけ、「お前らどこに行くんじゃ!!」と一喝。首謀者は「○×□▲・・・」。父親はちゃきちゃきの江戸っ子、言葉は速射砲のような関東弁、しかも短気のいらちで酒飲み。小生との違いは言葉だけ。僕はずぶずぶの大阪弁。いずれにしても、親子の血は争えぬものである。父親が死んで45年、50周忌には生きているお弟子さんを集めて杯を傾けたいものである。(連休を満喫のアミー、ジョリー、緑地公園)
by amitohyama
| 2016-05-09 12:15
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