2015年 08月 04日
僕の背中を見て人生を考える門下生がおるやろか? |
今回は真面目な話を。月初めに毎回簡単な講話をしなければならない。学、知識,品に乏しい身としては極めてつらい。今、母親の見取り、真っ最中である。当然父親のことも思い出す。医学部に入ったのに基礎医学に進むと知り母親(将来お金も含めて苦労するかと)。専門は大きく異なるものの基礎医学に進むことをなんとなく喜んでいた父親。その父親は昭和47年、卒業の年の春、急逝する。春の嵐の日であった。父親の死とともに、父親のそばにいた多くの人が潮を引くように去っていた。それを如実に示したのが盆暮れの付け届けである。まさに人情紙風船。卒業後すぐに助手になったものの、その後の10年を揺るがす激震が、教授の退官を期にやってくる。教授もいない、助教授も。医学部の中の最弱の教室である。白い巨塔の黒い闇を彷徨う浮浪者状態であった。助手という二等兵が、人情紙風船を身をもって知らされながら、その場その場で、大きなな決断をしなければならないことが次々と。そのたびに心の中で問うのは、父親ならどのような決断をしただろうか、ということである。正に、父親の背中を見て育ってきたかもしれない。それと同時に、弱小チームの頼りない指揮官を裏切らずに歩んでくれた仲間には感謝である。やがて医学部でも指折りの研究室となり、多くの門下生が育っていったが、果たしてどれだけの人が「僕の背中を見て生きています」と言ってくれるだろうか。また育っていった門下生にも多くの部下がいる。その部下たちは門下生の背中をどのように見ているのだろうか。「俺の背中を見て生きろ!」とかっこよく吠えることのできる門下生が少しでもいることを信じたい。(アミーはジョリーの背中にへばりついています)
by amitohyama
| 2015-08-04 15:38
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