2014年 08月 05日
笹井氏の死は組織の犠牲 |
朝、衝撃的なニュースが入ってきた。笹井氏の自殺である。なぜ彼は自殺せざるを得なかったのか。もし、理研のトップがこの問題を正面から受けとめ、すべてを明らかにして、ねつ造の土壌を一掃する覚悟で取り組んでいれば、と悔やまれる。それを野依、竹市氏等は組織防衛に走り(決して組織防衛にはなってないのであるが)、調査を矮小化し火消を謀った(わざとこの文字を使用)のである。ところが、小保方氏に弁護士が付くや、弱腰になり、捏造まみれの本人を隠避だらけの理研で検証実験をさせるという愚を犯した。科学者の矜持で捏造は捏造と理研としての断をくだし、早期に処分を言い渡し,笹井氏や関連の幹部が頭をさげて、謝罪していれば、このような事態はさけられたと思う。たとえ、解雇になったとしても、笹井氏の実力があれば海外で活躍する場は十分あったろうに。それをせず、理研という組織を守るためとの思い込み、隠蔽と繕いを繰り重ねた理研の執行部の罪は重い。老害、自分を守るための老醜と言われてもやむを得ない。組織は構成員を生かすこと、透明性を維持すること、科学的マインドを貫くことにより、生かされることを忘れていたのだろうか。笹井氏を組織に留めることが、本人の為になったろうか。CDBの新棟や再生医療の旗頭として、利用したかっただけではないか。もしそうならば笹井氏に憐れを禁じ得ない。それと、野依氏のコメント、他人事やがな。あんたの責任でっせ。
下村氏を筆頭とする文科省も省益や火を点けた行きがかりの面子を守ることに腐心していては、監督官庁とは言えない。理研と文科省の役人との癒着や人事交流が流れに拍車をかけた事態を招いた。下村氏を始めとする馬鹿な政治家は、「今回のことはすべて理研の良心に任せる」、の一言であとは科学の専門家に任せればよいのである。
科学の一部(一部である)が橋渡し研究となり産業界と連携するの歓迎する。しかし、それが行き過ぎて、巨大な研究費獲得に研究者も、関連省庁も、そして業界も血眼になっている現状は、滑稽を通り越して、醜く感じる。今回の根はそこにあるようきがしてならない。笹井氏の30台半ばごろ、何度かセミナーに来てもらったことがある。爽やかでシャープというイメージであった。そのことを思い出すと、今回の事件とはギャップを感じるが、死を選んだことは残念でならない。うつ状態で周囲から「がんばれ」と言われすぎたのだろうか。なぜ理研に残る選択肢しかなかったのか、孤独だったのだろうか。
下村氏を筆頭とする文科省も省益や火を点けた行きがかりの面子を守ることに腐心していては、監督官庁とは言えない。理研と文科省の役人との癒着や人事交流が流れに拍車をかけた事態を招いた。下村氏を始めとする馬鹿な政治家は、「今回のことはすべて理研の良心に任せる」、の一言であとは科学の専門家に任せればよいのである。
科学の一部(一部である)が橋渡し研究となり産業界と連携するの歓迎する。しかし、それが行き過ぎて、巨大な研究費獲得に研究者も、関連省庁も、そして業界も血眼になっている現状は、滑稽を通り越して、醜く感じる。今回の根はそこにあるようきがしてならない。笹井氏の30台半ばごろ、何度かセミナーに来てもらったことがある。爽やかでシャープというイメージであった。そのことを思い出すと、今回の事件とはギャップを感じるが、死を選んだことは残念でならない。うつ状態で周囲から「がんばれ」と言われすぎたのだろうか。なぜ理研に残る選択肢しかなかったのか、孤独だったのだろうか。
by amitohyama
| 2014-08-05 16:22
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