2016年 03月 01日
関西発の唯一の学術誌「脳21」が廃刊になります |
2月24日、脳21の編集委員会が開かれた。その1週間前出版元の金芳堂前社長市井氏より電話があり、「もう持ちません。すみませんけど廃刊に」という電話をもらっていた。脳21の前身は「ブレインサイエンス」。平成2年」(1990年)、厚生社よりの刊行である。俣野(人間性生態学)を代表とし、、遠山、重永(故人、解剖学教授、歯学部)、高木、高辻が編集委員。1993年からは久保(故人、耳鼻科学教授)、塩坂(奈良先端、細胞組織学教授)が加わる。1997年、厚生社社長が本業以外に手を出し、バブル崩壊もあり、倒産。8年8巻31号で幕を閉じる.先代が創業し、阪大医学部の教科書、書、雑誌を一手に引き受けてきた厚生社であるが、今や当時の自社ビルも人の手にわたり、すし屋など雑居ビルとなり、面影すらない。厚生社倒産で困ったのは編集委員である。
破産する二代目あれば拾う神ありである。友人の紹介で京都赤垣屋で金芳堂柴田社長(当時)、市井編集長(当時)と会食.俣野、遠山、塩坂、高辻、蒲池(ブレインサイエンス編集者)そして小生の友人と飲む。激しい雨の日の記憶が鮮明。酒も進んだ中、その友人(画廊の女オーナー)が一言、「しばっちゃん、いっちゃん、やったりいな。何とかなるよし」のみ言葉。これで二人の決心もつき、「継続ではなく、新しい雑誌なら」ということで「脳21」第1巻1号が1998年にスタート。編集委員は俣野、遠山、重永、久保、塩坂に加え、木山、野坂、藤田、吉峰、馬場氏などが加わった。蒲池事件など週刊大衆かアサヒ芸能レベルの事件もあったが、2016年(平成27年)19巻まで持ちこたえた。内容は極めて硬派の学術性が高く、専門家からの評価もよかったので残念である。また関西唯一という灯が消えるのも悲しくて悔しい。しかしながら、最後の編集委員会では金芳堂への恨みつらみはなく、出版業界不況の中で、よくぞここまで持ちこたえてくれた、という感謝の言葉であふれていた。脳21だけで19年、ブレインサイエンス8年を入れると、30年近くなる。老骨にムチ打てば、あと数年は持ちこたえられたかもしれない。しかし、その後は誰が「脳21」を支えるのか。そう考えると今が引き際。幕引きである。
破産する二代目あれば拾う神ありである。友人の紹介で京都赤垣屋で金芳堂柴田社長(当時)、市井編集長(当時)と会食.俣野、遠山、塩坂、高辻、蒲池(ブレインサイエンス編集者)そして小生の友人と飲む。激しい雨の日の記憶が鮮明。酒も進んだ中、その友人(画廊の女オーナー)が一言、「しばっちゃん、いっちゃん、やったりいな。何とかなるよし」のみ言葉。これで二人の決心もつき、「継続ではなく、新しい雑誌なら」ということで「脳21」第1巻1号が1998年にスタート。編集委員は俣野、遠山、重永、久保、塩坂に加え、木山、野坂、藤田、吉峰、馬場氏などが加わった。蒲池事件など週刊大衆かアサヒ芸能レベルの事件もあったが、2016年(平成27年)19巻まで持ちこたえた。内容は極めて硬派の学術性が高く、専門家からの評価もよかったので残念である。また関西唯一という灯が消えるのも悲しくて悔しい。しかしながら、最後の編集委員会では金芳堂への恨みつらみはなく、出版業界不況の中で、よくぞここまで持ちこたえてくれた、という感謝の言葉であふれていた。脳21だけで19年、ブレインサイエンス8年を入れると、30年近くなる。老骨にムチ打てば、あと数年は持ちこたえられたかもしれない。しかし、その後は誰が「脳21」を支えるのか。そう考えると今が引き際。幕引きである。
by amitohyama
| 2016-03-01 15:01
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